「僕もクラシックファンなんです」
結婚前に主人が言いました。
「まあ、趣味まで一緒だわ」
私は有頂天になりました。
「チャイコフスキーの『白鳥の湖』が特に好きです」
「じゃあ、結婚式にはそのレコードをかけてもらいましょう」
結婚してからも、2人で月に2回はクラシックコンサート。
可哀相に、毎日残業、残業でくたびれている主人は、音楽が始まるやいなや眠ってしまいます。私は本気で、こんなに残業をさせる会社を恨みました。
そのうちに子供が2人生まれて、育児に忙しくコンサートどころではなくなりました。
そして夫婦の倦怠期が訪れました。
テレビから流れる華麗なクラシック音楽を主人はうるさそうに消してしまいます。レコード店から漏れてくる軽快なシューベルトの「鱒」のメロディーにも無関心。買ってくるレコードも流行り歌ばかり。
とうとう主人が本音を吐きました。
「俺、クラシック、あまり好きじゃないんだ」
主人の本当に好きな音楽は、実は演歌だったのです。
「この世の中で演歌ほど嫌いなものはないの。下品で低俗で」
いつも私が言っていたので、言いだせずにいたのです。
でも子供たちが巣立ってしまってからも、主人はクラシックのチケットをせっせと私のために取ってきてくれます。
「無理しなくてもいいのよ」
「だってさ、俺、楽しみなんだもの。お前が涙をポロポロ流すのを見るのがさ」
「悲愴」交響曲の序奏の後の素晴らしい展開部! 「チゴイネルワイゼン」の咽び泣くようなバイオリンの調べ! いつも感極まって泣いてしまう私のことを、主人は寝たふりをして、そっと横目で眺めて楽しんでいたのでした。
クラシックコンサートが終わって車に戻ると、さあ今度は主人の番です。カーステレオから石川さゆりの「天城越え」が流れます。
あと30年、主人と二人三脚。ゆらめく蝋燭の火のようだといわれる夫婦の愛情を灯し続ける努力をしなければなりません。
「演歌も日本のしっとりとした風土にあっていて、なかなかいいわね」
この頃は、大嫌いだった演歌も快く耳に響くようになりました。