猫は踊る

 

「求猫 マタタビを食べて踊る猫を八ミリに撮りたいと思います。もしその様な猫を御存知の方は受付までお知らせ願えませんか。器量が良くて、演技の上手な美猫を求む」

 これは当医院待合室に貼ってあるポスターである。早速その反応はあらわれた。

「マタタビって何ですか」

「猫が踊るって、どうやって踊るんですか」

 我が家の受付は薬の服み方そっちのけで、マタタビの説明にかかりっきり。すっかり説明をし終わった時、患者さんは好奇心が満足した喜びに胸を膨らませて渡した薬の勘定を払い忘れて帰って行く。

 

 我が家の損害も夥しい量にのぼった頃、ようやく吉報が舞い込んできた。

「はあ、家の猫で宜しかったら」

スワ! 一寸したカメラマン気取りで八ミリを抱えてとんで行った。

 

 そこは大きな乾物問屋。裏庭には池がある。夏の強い陽射しが木立ちの間からギラギラ照りつけ、池に反射して屋根の庇に何か模様を作っている。

「ゴロちゃん、マタタビよおー。ゴロちゃあん。居ないわ、どうしたんでしょう。家のゴロは朝、外出する習慣があるんですよ。あ、あんな所に居る」

真っ白で青目のゴロは、当年15才の好々爺。マタタビの袋を近付けると、クンクン匂いを嗅いで嬉しそうに舐めるので、縁台の上に播いてやった。しばらくガツガツ舐めていたが急にやめ、頭を上げ何かをじっと待っている。

「どうしたの?」

と顔を近付けると

「ハックション!」

と物凄いクシャミをした。マタタビが乾き過ぎていたのだ。

池の水で少し湿してやったが、どんなに勧めても0.5gくらいしか食べない。

「そーら、ゴロちゃん、いつもの踊りはどうしたの? あらま、狡いのねえー」

ゴロは前足で柱を抱えて寝てしまった。いくら揺り起こしてもその形を絶対に崩そうとしない。抱き上げようとしてもガンとして柱は抱えたまま。人間でいえば定めし抱柱期というところだろう。

 泣く泣くその寝姿を八ミリに納めて、その日は引き取った。次の日またやってみたが駄目だった。きっと年を取ったのと暑いのとで踊るのが面倒になったのかもしれない。

 

 目下、私はマタタビを研究している。それはサルナシ科の植物で、生薬名は木天蓼(もくてんりょう)という。産地は樺太、北海道、本州、九州。薬用部は主として虫えいのある果実とない果実で十月ごろ採取する。

 マタタビの語源は、アイヌ語のマタ(冬)タムブ(亀の甲)で、冬、マタタビの木に亀の甲のようにボコボコした虫えいのある果実が成っている印象からきたものだそうだ。

 猫族に食べさせると、この上なく喜びダンスを始めるという。

その原因はまだ不明だが、生殖腺を刺激するからだろうという学者もいる。

 そんな結構な薬を猫族だけに任せておけないと、物好きな人が食べて見て、虫下し、卒中、神経痛、淋病、胃腸病と少なからず人間様にも役立つ事が発見された。

 

 それを聞いた父はこんな話をしてくれた。

「おじぎ草は麻酔をかけるとお辞儀をしなくなるんだよ。なぜかというと細胞膜が透過性の変化をおこしてコロイド状の成分が皆外へ出てしまうんだ。それから考えて麻酔作用を持つあのマタタビはネフローゼに効きやしないかと思うんだ」

 最初のうちは、我が家の実験室で植物成分一般の予試験をおぼつかない手つきでガチャガチャやっていたが、そのうち父から

「おまえの使った試験官は全然使えん! 水を入れただけで緑に染まる。営業妨害だ、やめてくれ!」

と怒鳴られた。

 

 家の実験室を追い出された私は、翌日生薬の先生に泣きついた。先生は父と違って、私を一人前として扱って下さった。いちいち

「エーテルの側で火を使うと引火するよ」

とか

「アセトンの蓋をとりっぱなしにしておくと皆なくなってしまうよ」

などと言わない。助手さん達は皆親切。

それから一緒に手伝ってくれるという友人と2人で放課後楽しく実験を続けた。さしあたっての目的として、学園祭と卒論をマタタビでやることになった。これがあのポスター事件を起こしたゆえんである。

 

 さてそれから数日経った或る日、受付から動物園の飼育係が来た事を知らせてきた。待合室を覗くと不安気な面持ちで座っている一人の貧相な男の人が目に飛び込んだ。今日が手術の日だそうだ。

早速、私は10年も会わなかった肉親のように、親しげに近付いて行った。

「動物園の方でいらっしゃいますか。私はあのポスターを書いたものでございますが、アフリカでは豹を捕る罠にマタタビの一種を仕掛けるそうですね。ご迷惑でしょうが、お宅の動物園の豹にマタタビを食べさせては頂けないでしょうか」

その人の顔に一瞬当惑の色が流れた。もう一押しすれば気の弱そうな人だから陥落するだろう。だが待てよ、時期が悪い。人の弱みを握って頼みごとをするのは何か気がひける。私は曖昧な返事を聞き流して、もうこれ以上頼むのはよそうと思った。

 案の定、その人は手術台にのった途端、何もしないのに気絶してしまった。後で私が看病させられたことは言うまでもない。

 後日、動物園に改めて頼みに行こうと思ったが、皆に止められたのでやめにしてしまった。

 

 それから暫く経ってから、マタタビのエーテルエキスを作って隣の猫に舐めさせて見た。その猫は巨大な虎猫。本名は怪物。愛称、怪ちゃんという。昔、野良猫をしていたことがあるので年は不明。雄猫。

エーテルエキスをなかなか舐めようとしないので、その上に練乳を垂らして舐めさせた。

 舐め終わると怪は巨体をドサリと横たえて動こうとしない。ちっとも踊る気配がないので、気付けに髭を引っ張ったり、全身マッサージ術を施したりしてみたが、依然として起き上がらず、それどころかマッサージが効きすぎたのか、本当に眠ってしまった。次の日1日外出して帰って来なかったそうだ。

 

 そんなこんなで日はどんどん過ぎ、いよいよ学園祭も近付き焦り気味になってきた。見兼ねた私の友人グループの人達は皆で手伝ってくれることになった。

 

 私は試験休みの天気の良い日を選んで、八ミリとマタタビを持って、裏小路という裏小路を猫を尋ねて、てくてく歩き回った。癪に触ることに、犬は至るところに気持ち良さそうに眠っているのに、猫は1匹として見付からない。猫の奴、道路が占領されているので、犬ののぼれない屋根の上にでも避難しているのかなと思い、上を見い見い歩いた。

 さらさらとした秋の太陽は屋根屋根の上を流れる、それに垂れ掛かる紅葉、澄んだ空、居ない。猫は1匹も居ない。ふと奇妙な声に足元を見ると、1匹の犬が踏まれそうな尻尾を気にして歯をむき出して唸っている。とんで逃げたいのを我慢して震える足を踏み締め踏み締め、やっとの思いでその犬から遠ざかった。

 

 とある玄関の日溜りにいた、いた。生まれたての小さな子猫が昼寝をしていた。あどけない顔には、3色の毛が可愛らしく散らばっている。体は勿論、小さな尻尾までが一匹前に黒白茶に彩られている。

 一度も人にいじめられた事がないのだろう。近付いていくとキョトンとした目で眺めている。子猫はマタタビには興味を示さないそうだが、久し振りに出会った猫をそのまま見逃すわけにはいかない。

 マタタビを嗅がせると欲しそうな顔をするので、1gほど猫の側に置き、さっと撮影態勢を整えた。カメラの向こうで子猫はもうマタタビを舐めだしている。3舐め位して、矢庭にマタタビの上を転がり出した。顔にマタタビを擦りつけ、あっちへゴロリ、こっちへコロコロ、お腹を見せてひっくり返ったり、マタタビの粉を弄んだり、側の木に首を擦りつけたり、紙屑にじゃれついたり、何か知らないが心から喜んでいる様子だった。この狂態も5分程でおさまり、子猫はそこに座り、満足気にカメラを見詰め出した。

 不思議なことに残ったマタタビを全部食べようとはしない。本能的に極量を知っているのだろうか。気が付くと周囲に人だかりがしていた。 

「あら、家のミイコを撮ってくれているんですか」

「あんまり可愛らしいので、ミイコ映画スターにちょっと演技をして頂きました。ところで、これ何時生まれました?」

「春です」

 そこでひとしきり世間話に花を咲かせて、撮り損なったときの用心の契約をして、また別の猫を探すため歩き出した。

 

 猫のいそうな台所口や、裏庭をいちいち覗いて歩くので、犬は不審そうに人の顔を覗き込むし、道行く人はジロジロ見る。巡査に呼び止められなかったのは、きっと人相が良かったせいだろう。大きな目付きの悪い犬がいる細道は全部やめにした。第一そんな犬のいるところを猫が出歩くはずがない。

 

 どんどん歩いて行くと急に視界が開け、きれいな水の流れている川のほとりに出た。

〃ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし〃

人生すべて水の泡のごとし……か。

 このはかない人生にせめて何か永遠なるものを求めて生きたい。川の上をマタタビの幻影が、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

 

 流れを横切って、目はふと川向こうに寝ている白黒斑の人相、いや猫相の悪いものの姿を捕らえた。橋を渡り近付いていくと、目を覚ましてサッと逃げ出す。私は交尾期の時に鳴くあのチャーミングな猫撫で声で、

「ミャオゥ、ミャオゥ」

と呼びながら追いかける。猫はギロリギロリと振り返りながら

「ジャー、ジャー」

と妙な声で鳴き返す。マタタビの袋を取り出すと、それなら話が違うとばかり引き返してきた。その猫も2舐めほどして、感謝の意を表するためにマタタビの上を転がり出した。久しくその儀式を続けた後、トコトコ歩きだし犬小屋の庇に首を擦りつけだした。

「カメ、カメ、何をしているの」

「あら、この猫のお家の方ですか。写真を撮らせていただいていました」

 猫の癖に亀とは変な名だと思い聞き直したら、

「仮面です」

との事。なるほど良く見ると、鼻から顎にかけては白いが、後は仮面を被ったように真っ黒だ。第一印象が悪かったのも無理はない。

後はお定まりの性別と年を聞き、詳しく訳を話して帰ってきた。それから数匹猫を撮って現像に出した。

 

 猫にマタタビを夏にやったら、大部分が無関心。秋は例外なく大喜び。こんな結論を出すのは100匹以上やらなければ軽率かもしれないが、猫がマタタビに興味を示すのは季節に何か関係があるのではないだろうか。

 

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(大学時代に執筆。校内文芸大会で2位になって賞金500円を獲得した 記念のエッセイ)

 

猫の篭

(籐工芸指導・林純子 先生)