弟夫婦に誘われて、兄と私たち平均年齢65歳の3組の老夫婦は、箱根の芦ノ湖畔を散策することにした。
時は盛夏8月、下界は36度の猛暑日だったが、木々のうっそうとしげる箱根は涼しく、芦ノ湖畔を半周、ほぼ10キロの行程を歩くと聞いても誰も尻込みをする人はいなかった。
兄と私は近くの美術館に行くつもりだったので街歩きの靴を履いてきてしまったが、楽しそうな雰囲気に呑まれて
「まあいいか」
と仲間に加わった。夕べ一緒に泊まった強羅の旅館での兄弟会の余韻を消してしまうのが惜しくて、3夫婦はかたまって、そのまま うきうきと歩き始めた。
左側に芦ノ湖を見下ろし、右側には繁茂する林を見上げながら、涼風吹き抜ける林道を歩くのは心地よい。昨日雨が降ったせいか ぬかるみが多い。滑らないように用心深く歩く。
芦ノ湖も水嵩が増え濁った波が打ち寄せていたが、水上スキーを楽しむ若者たちで賑わっていた。樹木の根がぐにゃぐにゃと道を横切っている。昼すぎなのに気温が低いせいかツユクサがまだ咲いている。ツユクサの全草は解熱・利尿効果や扁桃腺の痛みに効くという。
黄色いタンポポのようなコウゾリナが咲いている。白いオカトラノオとピンクの粟が群がるように咲いているチダケサシの群生がある。
ギボウシ、白いヒヨドリバナにボタンヅルの花もある。小さなアザミのようなベニバナボロギクはまだ咲きはじめで初々しい。これは戦時中兵士が食用にしたという。ここは野草の宝庫、宝の山に踏み込んだようだ。あちこち目移りがする。
夢中で写真を撮っていると周りに誰もいなくなった。夫が心配して戻ってきた。
「撮ってほしい花があったら俺が撮っといてやるから、歩くことに専念しろ。1人だけ遅れて皆に迷惑だぞ。俺なら足が速いからすぐ追いつけるから」
「こんなところにマムシグサの青い実があるわ。この球茎は天南星(てんなんしょう)といって漢方薬にもなっているの。鎮静・鎮痙作用があって癌(がん)にも効くんですって、これ撮って!」
ヤマユリが咲いている。鹿の子模様の入った大きな白い花弁の真ん中に、6本の赤い花粉袋をゆらゆらさせて3つ4つまとまって咲いているのは壮観だ。
「まあ、見事! これは素晴らしい絵葉書になるわ。この鱗茎(りんけい)は滋養強壮薬にしたり、腫れ物に塗ったりするんですって!」
もう10キロも歩いただろうか。野草に夢中になっているうちに、疲れで足がもつれてきた。兄嫁と弟嫁は、すいすいと先を歩いている。年がいくらも違わないのに私とは随分体力が違う。複雑な気持ちになる。
やっと車の通ることの出来る広い道に出た。いつのまにか弟の姿が消えて、しばらくすると携帯が鳴った。
「兄貴と姉貴がバテているようだからタクシーを呼んだ」
と弟の声。
まだまだ若いものには負けないと自負していた71歳の兄と67歳の私は、バテたのを靴のせいにして、大いにタクシーを迷惑がった。でも棒のようになって自由に動かなくなった足はどう見栄をはっても老人のそれにしか見えなかった。
後で兄嫁が
「実は私たちトイレをさがして必死に歩いていたのよ」
とそっと元気の種明かしをしてくれた。
(photo by OSHIRO)