ロンドン・パリ珍道中

 

*凱旋門(フランス)

*タワーブリッジ(イギリス)



 

「ない、ない、ない!」

 また夫の捜し物が始った。近頃めっきり忘れっぽくなって、1日1回は捜し物をしている。

 ここは成田空港。旅行鞄の鍵がないというのだ。手荷物をひとつひとつ椅子の上に並べて振ってみる。どこにもない。

万事休す! 鍵を壊してもらうしかない。あきらめて旅行鞄に手を掛けると、なんと取っ手に鍵がしっかりとぶら下っているではないか。

「もぉぉー」

 ツアーの添乗員はサバサバッとした感じの若い女の人。メンバーは熟年夫婦3組と新婚2組、女友達1組の12人。

簡単な説明をきいて飛行機に乗り込んだ。

 

 今日は晴れているので、下界がはっきり見える。手元の地図と比べながら

「あの半島はここじゃあないかしら。ハバロフスクよ、きっと」

「もうシベリア上空なんだね」

 夫と2人で窓をのぞき込んで、子供のように興奮……

 しばらくすると機内アナウンサーの声。

「皆様、今やっと日本海をぬけました……

なあんだ、あの景色は北海道だったんだ。ばつの悪そうな夫と顔を見合わせる。

 

 眠ったり起きたりしながら13時間、パリのドゴール空港に到着。

夜の10時だというのに外はまだ薄明るく、パリの街の灯が点々とともり始めたところだった。

 

  やっと着いたモントレイユのホテルは山小屋並みの粗末さだった。丁度ワールドカップが開催されていたので、予定していたホテルが満員で、直前に他のホテルにまわされてし まったのだ。新婚さんにはなんとも気の毒な話だ。

 みすぼらしいロビーに集められて添乗員からパリ滞在の心構えをきかされた。

ワールドカップで世界中の泥棒が集まってきているので、ゆめゆめ油断をしないように。

バッグはしっかり抱えて歩き、ポケットには手を突っ込まれるので、お金は入れないように。

どんなに可愛い小さな子供が寄ってきても、相手はプロだから連係プレーで何をされ るか分らないから気をつけるように。 

 ツアー客の1割は被害にあっているそうだ。

 

 想像していた華のパリとは程遠いホテルの壊れかけたシャワーをあびてー息つくと、イギリスに2年程前から留学している娘に電話をした。明日から娘と合流してー緒に旅行することになっていたのだ。回線が混んでいたのか、やっと1時間後に電話が通じた。そし て、ベルサイユ宮殿で会えたら会おうということになった。

 娘と連絡がとれて安心した私たちは、ギシギシと軋むベッドに倒れこむように寝てしまった。

 

 

 ホテルの朝食はバイキングでパン、ハム、缶詰の果物、飲み物といった粗末なものだったが、パンのおいしさは さすが本場。以来、御飯党の私たちを完全にパン党に変えてしま った。

 しかしここでもハンドバッグは決して手から離さないように言われていたので、片手にバッグをしっかり持ちながら食事をしなければならなかった。

 

 ホテルの前では、のみの市が開かれていた。ここはスリの宝庫とこれまた脅かされていたので、金目の物は全部はずして夫に預かってもらって、交代で見物に出かけた。

 古着、使い古したアクセサリー、破れたランプシェード等、等、ついこの間、わが家で大掃除をして、粗大ゴミに出してしまったようなガラクタが大事に並べられて売っている。

「マダーム」

よい客が来たとばかり声をかけられた。スリをおそれて財布を置いてきてしまったので何も買えない。見るだけ、見るだけ。

 

 

*ノートルダム寺院


 

 次の日の午前中はツアーバスで市内観光。

 ノートルダム寺院、天にまします神をあおぎ望めるように、先端を高く尖らせ、精巧な彫刻をほどこした見事なゴシック建築の中には荘厳なステンドグラス。ミサの歌声が流れる中をゆっくりと通り抜ける。

 芸術家の集うモンマルトルの丘。ゴッホやピカソが住んでいたという。今でも芸術家を夢見る卵たちが、屋外で絵筆を奮っている。

 ナポレオンが卒業したという陸軍士官学校、エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場。

 

 バスを降りて歩いていると、赤ちゃんを抱いた やつれた女の人が、夫に纏いつくように追いかけてくる。それを小さな女の子が少し離れたところからじっと悲しそうに見ている。お金はお腹に巻き付けてあって、ちょっとやそっとでは出せない状態にあったし、どんな 泣き落としにも負けないようにと言われていたので、夫は手で払いのけて逃げてしまった。

 

 しかし、それからあの哀れな女の人の顔が目に焼き付いて離れず、もし正真正銘の乞食だ ったら惨いことをしてしまったと、夫はその日から添乗員の忠告を無視して、すぐ小銭を出せるようにポケットにしのばせておくようになった。

 

 

 午後は いよいよベルサイユ宮殿。

 パリのトイレは有料が多いが、ここのは無料だから行っておくようにと添乗員に言われて、まあ念の為にと軽い気持ちでトイレに行った。無料だが立派なトイレだ。

 頑丈そうな大きな鋼鉄の扉がドンと閉まった。上も下も隙間がない。用を済ませて戸を開けようとノブを回した。ビクともしない。もう一度回してみた。開かない。どうしよう。ツアーの皆が楽しくベルサイユ宮殿を見物している間、私だけトイレの中。そんなのは嫌だ!

フランス語で「開けて」っていうのは何だったけ。まあいいか、中で騒げば分かるだろう。

ドアをドンドン叩いてみた。こんなに頑丈な鋼鉄のドアだもの、レスキュー隊が来て大騒ぎになって

「日本人女性をトイレから救出」

なんて新聞種になったらどうしよう。

ドンドン ドンドン……

 しばらくすると

「カチャッ」と音がしてサッとドアが開いた。添乗員が来てくれたのだ。

大きな頑丈なドアにパニックになった私は、押せば簡単に開くドアを引っぱっていたらしい。

恥ずかしい……皆に合わす顔がない。

 大汗をかきながらツアーの列に加わる。

 

*ベルサイユ宮殿

 

 宮殿の中の王と王妃の大広間(鏡の回廊)は、ありとあらゆる贅を尽して飾立ててあった。天井から下がる沢山の豪華なシャンデリア、繊細な彫刻を施した数々の燭台、金色に輝く家具。天井から壁までびっしり描かれた有名画家の見事な絵。次の間も、次の間も……これではフランス革命がおきたのも無理はない。外には広い庭園がえんえんと続き、はるか彼方に森と池が見えた。ここで自由時間になったが、室内を見ただけで足が棒になってしまって、とても庭を散歩する元気が出ない。この広さではとても娘は見つけられない。

 あきらめて次の日、ルーブル美術館のピラミッドの前で正午に待ち合わせることにした。

 

  

 ルーブル美術館には、小学生が先生に引率されて名画を観賞しに来ていた。画家の卵が名画の前で模写をしている。日本では見られない開放的な光景だ。こんなに小さな時から本物に触れることが出来るなんて、出発点から違うんだなと感心する。
  

 ミロのビーナスのところに、黒衣をまとった背の高い女の人が立っていた。良く見ると家の娘ではないか。娘と会えるようにいろいろ気を使ってくれた添乗員にお礼を言って、そこから娘と同行することになった。
 教科書で見ていた名画「メデュース号の筏」や彫刻の「エルガスティネーのプレート」が目の前に次々とあらわれる。「モナリザ」は思っていたより小さな絵だった。

 

 そこからツアーと別れて、娘に連れられてオランジュリー美術館へ。

 壁面一杯に描かれた「モネの睡蓮」、近付くと花の形は淡い水色、ピンク、黄色と幻想的に描かれ、それらしい筆の跡だけしか見えないのに、少し離れると睡蓮が浮かんでいるように見える。次の間も睡蓮、睡蓮、睡蓮。枝垂れ柳と池と睡蓮の夢の中をしばし彷徨う。
 

 次はポンピドー広場、ここは古色蒼然たる教会と超近代的な彫刻をあしらった噴水の池とのミスマッチの美を誇る広場。オープンカフェで道行く人々や建物を眺めながら、親子3人でお茶としゃれこむ。
 

*ポンピドー広場

*オープンカフェ


 

 街中の建物はどれも彫刻で飾られていて、長い歴史を誇るかのように古びてどっしりと美しい。しかしよく見ると、いたるところにスプレーで描かれた落書きがあるではないか。不思議なことに、日本ではニュースになるような派手な落書きが、まわりの風景にすんなりと溶け込んでいる。
 

 汚いゴミゴミとした地下鉄に乗ると、背もたれのところに、これまた落書きがあった。皆こともなげに座っては降りて行く。私の座った補助椅子は座りにくく、何度もずり落ちそうになって、壁にぴったりと背中をつけて、深く腰掛けなおさなければならなかった。 おかげで地下鉄をおりた時はスーツの背中に落書きがしっかりコピーされてしまっていた。
 

 公園の外にある有料トイレにも入ってみた。有料トイレは、最初の人だけお金を払って、次の人はドアを閉めないで潜り込むようにと、バスガイドが面白おかしく説明してくれたので、その通りやってみたが、敵もさるもの、ドアを閉めないと水が流れないような仕組みになっていたので、無賃入場は失敗に終わった。

 

 

 夕食はモンパルナスのレストランでシーフードを食べることになった。

私だけエスカルゴを食べたことがなかったので、メニューに1人分だけ追加注文をした。

ウェイターがジュージュー焼けたのを
「カタツムリ」

と茶目っぽい顔をして持ってきた。見ると殻が剥いてある。
夫が

「『殻なしカタツムリ』は日本ではナメクジという」

とウェイターに

「ナメクジ」

という言葉を繰り返し教えはじめた。
夫と娘が面白がってナメクジ、ナメクジとはやし立てる中、やっとの思いで口に入れたエスカルゴは貝の味がした。成程シーフード店にあるわけだ。
 

 ムール貝がきた。小鍋に1杯、ワッというほどの量だ。目を丸くしていると、食べ方が分からないのだと思ったのだろう。ウェイターが、私の小鍋からムール貝を1つ取って中身をパクッと食べ、その貝殻の先で、別のムール貝をすくって食べて見せた。次に娘の小鍋から、次は夫のからと次々と食べてみせる。

 笑いの渦の中、さまざまなシーフードが並べられ、最後に

「ジュース」

といって飲み物を持ってきた。隣の席のフランス人が笑いながら何か言っている。

用心しいしい嘗めてみると何とコニャック!

ウェイターが向こうの方で、こちらの様子をじっと伺っている。

 

 そんなこんなで大笑いのうちにフランスでの夜は更けていった。

 

 もう10時をとうに回っていたので、タクシーで帰ることになった。後ろの席に乗り込むと、助手席から大きな犬がヌッと顔を出した。ベベという運転手の犬だった。ベベは私たちに挨拶をして、頭を撫でてもらうと又、助手席の下にもぐりこんで寝てしまった。

 日本の犬は、威張って主人を引っ張って歩くが、フランスの犬はうやうやしく主人のあとに従って歩いている。訓練が行き届き、人に迷惑を掛けないので、電車にでも何でも乗っている。ベベにもきっと1匹では留守番させられない事情があったのだろう。日本では考えられないことだった。

 

 ****

  

 次はいよいよロンドン。

 ユーロトンネルは1994年にドーバー海峡に出来た海底トンネルだ。そこを走るユーロスターに乗って、パリのノルドからロンドンのウォータルーま でたったの3時間。日本で言えば新幹線といったところか。

 おしゃれな風景が、だんだんと田園風景に変わっていく。おや、緑の野原に紙屑が散らばっている。よく見るとなんと羊! 

 煙突のついた鄙びた建物がちらほら見えはじめロンドンに到着。

 

  ホテルはケンジントンパレスの側にあるホテルだった。渡された鍵を持って部屋に着くと、中はベッドメーキングされていない荒れた部屋だった。苦情を言うと、何のことはない、渡す鍵を間違えたとケロッとしている。

 娘に言わせればこれがイギリス流だという。
 イギリスでは責任が分担されていて、横の連絡がうまくいっていないことが多く、自分の分担意外のミスは知らん顔。その為、何か故障をすると直るのに異常に時間がかかるそうだ。
 

 新しく案内された部屋は、パリのホテルよりずっとましで、フリルのついたドレッシーなカーテンが部屋の雰囲気を和らげていた。お茶の用意もあるし、バスルームは乾燥ルームにもなっていた。

 

 

 次の朝早く起きてケンジントンパークを散歩。
1本1本の樹が20~30メートルはあろうかと思う程大きい。マロニエの樹にはツンツンと立った白い円錐花序の花が満開だ。緑の芝生の続く広々とした公園をどんどん歩いて行くとダイアナ妃の住んでいたというケンジントン宮殿に出た。金の飾りの付いた黒い鉄柵の向こうに見える庭は花盛り。

 

 少し離れたところに緑の垣根が見える。ところどころ垣根がのぞき窓のようにくりぬいてある。ケンジントンパレスガーデンだ。

*ケンジントン宮殿

*ケンジントンパレスガーデン


 

 睡蓮の浮いた真ん中の白い池を一重、二重と取り囲むようにバラ、アルメリア、アガパンサス、その他名も知れぬ花々が楽園のように咲き乱れている。おやゆび姫やリップバン・ウィンクルの声が聞こえてきそうな夢一杯のガーデンだ。

  ー昨年来た時は晩秋だったので、花が終わってしまっていた。一番きれいな季節にまた見ることができて嬉しい。

 

 午前中 セントポール寺院、国会議事堂、ビッグベン、バッキンガム宮殿の衛兵の行列、ピカデリーサーカス、トラファルガー広場、大英博物館と観光して、夜はツアーの人たちと娘も一緒になってソーホースクエアに繰り出して夕食をとった。

*バッキンガム宮殿

 

 

 

 次の日は又ツアーと別れてリージェントパークへ。娘の卒業したリージェンツカレッジは緑の木立ちに囲まれ、蔦におおわれた赤い煉瓦の素敵な建物だった。

*リージェントパーク

 

 クイーンメアリーズガーデンの入り口は紫、濃紺、空色、白と花茎の先に沢山の花がさく40~50センチもある総状花序の花々が咲き競い、落ち着いた大人のムードを漂わせていた。奥に入ると池があり、その周りには緑の濃淡のコントラストのある、先の細い草が生え、作業員と思しき人が船に乗り、竿を操って牧歌的な雰囲気をかもしだしていた。  

 バラ園ではアーチにからませた色とりどりのバラがおとぎの国を演出していた。
 

 にわか雨が降ってきた。これはイギリス特有の気候ですぐ止むそうなので、柳の木の下で雨宿りをすることになった。
 イギリス人らしい女の人が駆け込んできた。雨がひどくなったので、ハンドバッグの奥から傘を取り出して開いた。ついでにその人にもさしかけてあげると、
「ありがとうございます。ところで、あんなにバラが咲いているのに香りがしませんね。どうしたのでしょう」

と話しかけてきた。
 向うからおじいさんが駆け込んできた。
「ハブ ユー ………… ベンジョン?」

という。
(便所に行ってきましたか)

まさか初対面の人にそんな事を聞くわけがない。聞き返してもまた同じ事を言う。まごまごしていると、娘が

「『エンジョイしてますか』って聞いているのよ」

と教えてくれた。
 イギリス人は、思っていたよりフレンドリーだった。

 

 雨は娘の言う通りすぐに止んで、私たちはロンドン塔に出掛けた。

子供の頃読んだロンドン塔にまつわる恐ろしい話を思い出しながら、私たちは陰鬱な雰囲気の建物の間を歩き回った。
 

 その日のディナーは娘のフラットメイトのアニータと一緒だった。

 

 帰り道の夜のライトアップされたタワーブリッジは、お城のようで昼間のそれとはまた異なった趣があった。  

 

 万歩計は2万歩を記録していた。身も心も疲れ果てて、がたがたとジープのようなロンドンタクシーに乗ってホテルに帰ると、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまった。

 

 

「ジリジリジリジリー ジリジリジリジリー」

非常ベルが鳴っている。
「きっと 誤作動よ」
職場のベルがよく煙草の煙に反応して鳴ってしまうので、私は非常ベルには驚かなくなっていた。
「もう、子供も大きくなったことだし、死んでもいいわね」

と私はまた眠りに就いた。

 

「おいおい、火事らしいよ。残っているのは俺たちだけだよ」
夫に起こされて、やっと目が覚めた。

なんだか急に怖くなってきた。震える手でコートを羽織り、靴を履いた。
 廊下がきな臭い。外に出るとふりふりのネグリジェ姿の老婦人や、バスローブを着たままの夫婦、大きなトランクを抱えた紳士。皆様々な格好で、取る物もとりあえずに飛び出してきたようだった。
 消防車が来ていたが、小火だったらしく消火する様子もない。しばらくして中に入って良いとの許可がおり、また眠りに就いた。

 

 次の日は寝不足のせいか体がだるく、娘と近くの地下鉄の駅で待ち合わせて、バスで市内を回るだけにとどめた。
 

 ロンドンの地下鉄も、大昔からあるのを騙し騙し使っているのではないかと思われるほど古ぼけていた。ドアは手で開けないと開かないし、中は狭くて体の大きな人は身をかがめて乗っている。車両とホームの間は30センチほども開いていて、「マインド ザ ギャップ」とマイクが やたらに がなっている。

ここにも古いものを大切に、使えるものはとことん使うヨーロッパの精神を見た。

 

  ****

 

 日本に帰ってから、夫のズボンを洗おうとしたら、チャリンと小銭が落ちた。あの女の乞食はどうしているだろう。乞食だったのか泥棒の一味だったのか……

 

 治安の良い、乞食の少ない日本って何て良い国なんだろう。でも私は、新しいものに囲まれて、使い捨て文化に酔っている日本にちょっぴり危惧を感じていた。

 

 

(photo by OSHIRO)

背景・写真AC©チョコラテ