シーラさんの薬局・

 

 

 (絵・発地 博子)

「ガーゴープスッ! ピー、 ガーゴープスッ! ピー」
「うるさいなぁー。プスッ! ピーってところで目が覚めちゃうんだよなぁー」
 毎年秋に行われる各支店合同の社員旅行・飛騨高山行貸し切りバスの中のことです。時計を見ると午前2時。
「頭の位置を変えると、いびきが止まることがあるわよ」

側にいた男の子が、いびきの主の頭を、おっかなびっくり少し動かしました。いびきはピタリと止まり、スヤスヤという安らかな寝息に変わりました。

「本当に止まった!」

周りの人は、笑いをかみころして眠りにつきます。
 

 午前6時 飛騨高山に到着。
 旅館の屋根や柱は、豪雪に耐えられるようがっちり作られています。東京では見たこともないような黒い太い柱です。
 

 一風呂浴びて仮眠を取り、朝市見物に繰り出します。 
 広場のテントの下には、小ナス、色とりどりのカボチャ、赤い顔をした『さるぼぼ』という可愛い猿の守り神や、様々な民芸品が並べられています。 町並みは昔のままで、格子戸のある造り酒屋にねじり飴など売っている駄菓子屋と、人力車に乗ったお侍が出て来そうです。 大きな池の周りには合掌造りの藁葺き屋根の農家が点在し、稲を保存する稲架(はさ)小屋、きこりの住む杣(そま)小屋などが、江戸時代そのままに保存されています。
 

 お昼から、観光バスは新穂高ロープウェイに向かいます。

 深緑の樹々合間から、色付き始めた葉が顔をのぞかせています。下を見下ろすと谷川がうねり、川底の白い石が目にまぶしくきらめきます。せかせかと時が過ぎる喧騒の日々が遠い昔の夢のように遠のきます。 見渡す限り、山、山、山。焼岳、乗鞍岳、槍ヶ岳といろとりどりの装いで、目の前に迫ってきます。
 

 夜は温泉旅館で宴会です。熊の毛皮が敷いてある囲炉裏端で、郷土料理の朴葉味噌を、あつあつの御飯につけていただきます。白い小さな虫は、かの有名な蜂の子。目をつぶって、勇気を出して口に入れてみました。おいしい!
 

 舞台では、カラオケ、寸劇、踊り、物真似と自称芸能社員が次々と芸を披露しています。
 おやおや店長が『シーラさん』の真似をしています。チョコチョコ店の中を忙しそうに歩き回り 

「あら、また忘れちゃったわ」

と両手を挙げるさまは、そっくり。笑いをとって席にもどる店長のお尻めがけて、お返しに私の高ケツアツを一発かましてあげました。

 

 寝苦しかった夜行バス、宴会での馬鹿騒ぎなどを共にした社員たちは、親近感をいっそう深くして仕事でのチームワークを強めます。

 

* * *

 

 この頃は昔のように、薬局は500メートル以上離れて作るという制限がなくなってしまったので、お客さんの集まる駅の近くには、経済力のある大手がどんどん入り込んできて、中小の薬局は値段の面などで とても太刀打ちできず、うかうかしていると経営不振で首吊り自殺ということにもなり兼ねません。皆、お客さんを何とか自分の店にひきつけるために、いろいろと工夫をこらします。
 

 この薬局も駅前にあるという好条件にもかかわらず、すぐ側に同じくらいの規模の薬局ができたので、薬の売れ行きはガタ落ちしました。
 何とか挽回しようとヘルシースナックなるものを置くことにしました。つまり健康食品で作ったお菓子です。玄米入りクッキー、わさび入りチップ、黒砂糖をまぶしたパン、ハトムギで作ったかりんとう、甘みを抑さえたゼリー、食べてみると普通のお菓子と変わらずなかなかのものなので、たくさん仕入れて売れ行きやいかにと、息を飲んで見守っていました。
「ファンシーゼリーをください」

来ました、来ました。
「あ、ゼリーはこちらです。リンゴ、メロン、グレープいろいろあります。冷凍庫で凍らすとお子様が喜びますよ。丸いのと細長いのがございます。どれにいたしましょう」
「……あの……私の欲しいのは避妊薬のサンシーゼリーなんですけど」
 朝っぱらから大失敗です。

 

 

 かわいらしい女の子がチョコチョコ入って来ました。
「おばちゃん、これなあに?」
「これは水虫の薬よ」
「みずむしって、どんなむしなの?」
「足にできる、かゆいかゆい病気の虫よ」
「おばちゃん、これなあに?」
「これは、お腹のお薬よ」
「フーン、ではこれはなあに?」
「これは便秘のお薬よ」
「べんぴってなあに?」
 これでは仕事になりません。まわりを見渡すと母親らしき人は誰もいません。
「ママはどこにいるの?」
「ママはパチンコしているの」
 そういえば2、3年前、隣のパチンコ店のお客さんが

「子供を入れとくからダンボールをくれ」

と、貰いにきたことがありましったっけ。あの子が大きくなってダンボールの中に収まらなくなって、こうして歩き回っているのか……お昼御飯の時間になると、母親からお金だけ貰ってヘルシースナックをどう計算するのか、ちゃんと自分で買って食べていくのです。

 この女の子は夕方まで、近くのお店を1軒1軒回って歩いて時間を潰しています。
 暴走族、校内暴力、スケバン……いろいろな言葉が頭をよぎります。でも、このかわいらしい顔とはどうしても結びつきません。

 

 

 おや、又あの おばあさんが入ってきました。 朝パチンコ店の開店と同時に来て、夕方5時ごろ家に帰る常連です。パチンコに疲れると薬局にドリンク剤を買いにきます。
「うちの息子は、教育大を出ているんですよ」
「まあ、素晴らしい息子さんですね」
「嫁は国立女子大を出ています」
「まあ、すごい! 秀才御一家ですね」
「でもね、家の嫁が あなたのように優しい人だったら、どんなにいいだろうと思いますよ」

ドリンク剤を飲みながら涙ぐみます。
「私は家に居られないので、毎日パチンコで時間を潰しているんです」

おばあさんの寂しそうな後ろ姿が、パチンコ店に消えて行きます。
 


 お客さんが入って来ました。
「痛み止めのアセスを下さい」

アセスは歯磨です。でもこんなのは簡単!
「セデスですね」
「そうそう、それです」
 


 駅前通りのけやき並木に小鳥が寝に帰ってきました。チュンチュン、チュンチュン賑やかなこと。 小金井の駅前は、いろいろな問題を包んで今日も騒々しく暮れていきます。

 

* * *

 

 良く晴れた 爽やかな朝です。さあ今日はお客さんが沢山来そうだ。頑張らなくっちゃ!
 

 店長から電話です。

「用事があるので入店が遅くなるけど、よろしく」
 店長代理は公休日だし、下働きの男の子も体の具合が悪くてお休みです。仕方なく女性だけで開店準備に取りかかります。

特売品を並べたワゴンを店の前に引っ張って行きます。ざるに入った日用品をその前に運びます。

 

「ヤイヤイ おめえのところは、こんなに大きな店があるんだ。道路で売る必要はねえだろう。俺は店がないからここで売らなきゃならないんだ。ここは俺の商売するところだ。物を置いてもらっちゃあ困るんだ。ええ? 俺の言うことが間違っているか? 間違っているかってんだ! 女じゃあ話にならねえ。男を出せ、男を! 男はいねえのかぁ!」
 店を出そうとした場所に薬局のワゴンが置かれていると、テキ屋さんが騒いでいます。

 驚いて急いでワゴンを引っ込めたのに、いつまでも店の入り口に立ちはだかって怒鳴っています。皆どうして良いのか分からず、顔を見合わせるばかりです。

 時間はのろのろ過ぎていきます。怖くてお客は1人も入って来ません。これでは商売上がったりです。

 私がなんとかしなければ、シーラカンスの名前がすたります。

……震える足を踏みしめて
「あんた、女相手でないと喧嘩できないの?」

と怒鳴り返しました。
 するとどうでしょう。バッタリ怒鳴るのを止めて、おとなしく向かい側の道路に商売道具を広げはじめました。

「あんなこと言って大丈夫? この辺のテキ屋の親分なのよ」 

皆、心配しましたが、それ以来ウンともスンともご挨拶はありませんでした。
 

 店がすっかり静まり、お客さんも滞りなく入ってくるようになった頃、
「やあ、遅くなってすみませんでした」

何も知らない店長が、にこやかに入って来ました。

 

 

「コンちゃん、おくれ」
また例のおじいさんです。コンちゃん……つまり昔、清水昆が宣伝していたオロナミンCドリンクのことです。 そのおじいさんはコンちゃんを手渡してもらうと、いつも通り総入れ歯をガクッと外して口の中をブクブクゆすぎ、満足そうにカクッとはめ込みます。
(あのー、入れ歯を洗うのなら、入れ歯洗浄剤ポリデントがありますが……) 
と喉元まで出かかっている言葉も、あの おじいさんの幸せそうな顔を見ると引っ込んでしまいます。

 

 

「クコ葉下さい」

感じの良い奥さんが入って来ました。
「はい、どうぞ」
「実は家の猫ちゃんが体が弱いもので、のまそうと思っているんですが、クコ葉がよいかしら、コンフリーが良いかしら?」
「猫ならマタタビになさったら?」
「マタタビはもう のませているんです。でも いまいち元気がないものですから。かわいそうでねぇー……やっぱりコンフリーにしてみようかしら」
 猫にコンフリーが効くかどうか、どの本を調べれば わかるのでしょうか。私は半信半疑でコンフリーを包みます。 それにしても幸せな猫ちゃんです。

 

 

「安くて良く効く薬をください」
「ハイ!」
「これ、本当に効くんですか」
「効きますよ。……薬屋が効かないなんて言うわけがないでしょう?」
「そりゃそうだ」

お客さんは効かなくて もともと、という顔でおとなしく勧めた薬を買っていきます。 こんな人ばかりだと良いのですが……

 

 

「歯だけに効く痛み止めをください」

さっきからこのお客さんはこう言って一歩も引きません。どの鎮痛剤を出しても箱の効能書きを見て
「鎮痛解熱剤と書いてあるわ。解熱剤と一緒でない鎮痛剤というのはないんですか。それに頭痛、生理痛、腹痛、歯痛……随分いろいろ書いてあるわねぇ。歯痛にだけ効く薬が欲しいのです。あんまりいろいろのものに効く薬は効かないというではありませんか」
 鎮痛剤の機構、薬理作用を説明して納得してもらおうとしましたが、とてもわかってもらえそうな相手ではありません。 結局、『歯にだけ効く鎮痛剤』と銘打ってテレビで宣伝して売り出している薬を出したら、すんなり買っていきました。その薬だって腹痛にも頭痛にも効くんですがね。

 

 

 わあ、綺麗なアゲハ蝶が入って来ました。薬の匂いにひかれてか明るい蛍光灯に誘われてか、良く虫が入ってきます。これが蜂だと店中大騒ぎになるのですが、蝶だとしばし眺めた後、外に追い出してやります。店の中は匂いだけで何も食べるものがないので、大抵1日で死んでしまうからです。 明るい太陽はいつしか陰り、そろそろ小鳥がけやき並木に帰ってくる時間です。今日1日いろいろなことがありました。明日はどんな事件が待ち構えていることでしょう。

 

* * *

 

「なに? 勤めに出るって? そんな鶏ガラのような体で何が勤めだ。家にいてテレビでも見ながら煎餅でも食ってもっと太ってくれ!」
 10年前、この薬局に勤めると言い出した私に猛反対した主人も、勤めるほどに生き生きと明るく、体も丈夫になってきたのを見て、段々と考えが変わってきて、最近ではとても協力的になってきました。
「薬局には、自転車で通うといいよ。10分とかからないよ。いらいらバスを持つこともないし、時間に迫られることもないしさ。な!そうしてみろよ」
「二輪車は不安定で こわいわ。三輪車ならいいんだけど」

主人は私の言葉を真に受けて大人用の三輪車を買ってきました。
「この自転車いいだろう。若草色の車体に白い大きな荷篭。帰りに買い物をして、ここに乗せてくるといいよ。便利だぞぅ」
 私は高額だったという、その不格好でユーモラスな三輪車を見て、明日から絶対に乗っていかなければならないと思うと、すっかり気が重くなってしまい、昼間から布団を被って寝てしまいました。
 

 いよいよ次の日の朝がきました。三輪車は安定していると思っていましたが、平均をとって乗らなければならないのは、普通の自転車と変わりありません。 ヨロヨロと街を走っていると、3歳くらいの女の子の声が聞こえてきます。
「お母さんあの人、大人なのに三輪車に乗っているよ」
「シーッ、そんなことを言ってはいけません」 

恥ずかしいので人目につかないように裏通りを走ることにしました。

「先生、おはようございます! 自転車でさっそうとご出勤ですか!」 

隣のパチンコ店のおじさんが、運悪く裏通りをお掃除していたのです。何もわざわざあんなに大きな声で挨拶しなくてもいいのに。
 

 帰りはバスで10分くらいのところを、自転車だと20分はかかります。自転車置き場から自転車を引き出すのが大変なんです。幅をとる大きな三輪車を無理に引き出すと、隣の自転車が倒れます。するとまた隣の自転車が倒れ、将棋倒しに10台くらい倒れてしまいます。それを1台1台起こしてから出発するからです。

 向かい風が吹くとたまりません。晩御飯のおかずを満載した自転車は重く、つい降りて引いて歩いてしまいます。ペダルを踝(くるぶし)にぶつけてばかりいるので、青あざが絶えません。 そんなこんなで主人の心尽くしの高級三輪車は、車庫の隅にしまわれたままになってしまいました。

 

 

「おばさん、ここは何屋なの?」

社会科見学の小学生の群から声がかかります。
 外から見える所は、ヘルシースナックや、傘や、流行化粧品が置いてあるので、薬局には見えないようです。 薬の売り上げが落ちているのは、この辺に原因がありそうです。なんとか対策を練らなければなりません。

 

 

「ヨル ネムレル クスリ ヲ クダサイ」
 フィリピンから来た女の人です。目鼻立ちのはっきりした素晴らしいグラマー美人で、昔、歌手をしていたそうです。日本人と結婚してここに住んでいるのですが、フィリピンが恋しくて不眠症になってしまったのです。寂しさを紛らわすために、毎日この薬局に遊びに来ます。かわいそうなので、店でボーリング大会や、飲み会がある時は、いつも誘ってあげます。

 

 

 身なりの良い、小さな男の子を連れたお母さんが、店に山積みしてある特価の歯磨を、レジのところに1本持ってきました。 男の子があまり物欲しそうな顔をしているので、おまけの玩具を1つあげました。お母さんは、
「家にまだ2人の子供がいるので、その子たちの分もおまけが欲しい」

とあと2つ玩具を持って帰りました。
 財産を作る人は根性が違います。

 

 

 薬局の前の道路に、布地屋のおじいさんとおばあさんが、いつも店を出します。小さなリヤカーに布地を積んで来て、台に並べ、夏は麦わら帽子を被り、冬は七輪で暖を取り、2人で仲良さそうに椅子に腰掛けて話しながらお客を待ちます。ウチの店でも、ショーケースの飾りの布地などは、なるべくここで買ってあげます。
 

 そのうちに、おじいさんも80歳を超えて病気がちとなり、おばあさんだけがリヤカーを引いてくるようになりました。 そんなある日、
「布地屋のおばあさんが倒れた!」

その声に、店の男の子が飛び出して行きました。抱き起こされた おばあさんの頬には、道路の土や小石がこびりついています。目が虚ろです。
「救急車を呼ばなくては」
 担架を持った救急隊員が車から降りて来ます。 ピーポー、ピーポー、 近くの病院に急行します。
「あの おばあさんの家はどこ?」
「スーパーの裏の方らしいわよ。おじいさんは、いつもおばあさんの帰ってくる時間になると、近くの公園で待っているんですって」
「今日はどうなるのかしら?」
「おでん屋のおじさんがリヤカーを届けてくれるって言っていたわ」

 

 それから数日後、おでん屋のおじいさんから、おばあさんは脳内出血で入院していると聞きました。近くに住む娘さんが、世話をしているそうです。
「あそこにいつもいた、布地屋のおばあさんはどうしたんですか?」 

1か月たった今でも、時々お客さんに聞かれます。 おばあさんの出していた露店の場所は、今では買い物客の自転車置き場になってしまいました。

 

 

 隣の長崎屋で、洗濯石鹸を安売りしています。この店より安いので、お昼休みにこっそり買いに行きます。
「裏切り者!」

皆が石鹸箱を見て叫びます。
 長崎屋よりこの店のほうが安いときは、長崎屋の人が、
「エッヘッヘー」

と笑いながら買いに来ます。
 お互い様です。

 

* * *

 

 さあ、出勤です。薬局に着いてドアのノブに手をかけ開けた途端、一番に来ていた男の子が青い顔をして走り寄って来ました。
「泥棒! 泥棒です!」
「えっ?」
 良く見ると裏の格子戸が引っ剥がされています。

 店に入ると調剤室に置いてあった金庫は消えてなくなり、その場所には山のように鍵が積まれています。店中の鍵を全部金庫に合わせてみたのでしょう。でも金庫の鍵は番号で開けるので、たとえ鍵が見つかっても開きません。開かないので金庫ごと運び出したのです。あの重たい金庫をどうやって運び出したのでしょう。犯人は複数に違いありません。レジは無理にこじあけられて壊れています。でも店の商品に手がつけられた様子はありません。
「ワ、ワタシ交番に届けてくる」

夢中で近くの交番に駆け出しました。 

 しかしお巡りさんに泥棒のことを話しても、少しも驚いた様子はありません。良く聞いてみるとこれで届け出は9件目で、集団の泥棒が商店街を軒並みに襲ったんだそうです。全部現金だけで、他の被害はなかったようです。 
 お巡りさんは外に付いていた足跡に石膏を流して足型をとったり、店中の人の指紋をとったりしました。店の人の指紋以外のものを検出するためだそうです。出来上がった足型は、大きさといい形といい店長の足にそっくりだったので、
「間違って店長の足型が警察に登録されたら困るね」

と皆でひそひそ心配しました。
 

 職人さんを頼んで格子戸は直しましたが、レジは壊れたまましばらく使われました。レジについた大きな足跡は、どんなに拭いてもとれません。金庫にはほぼ200万円入っていましたが、保険に入っていたので被害は最小限ですみました。
 

 またこんなことがあると困るので、警備会社に頼んで中の鍵を付け替えました。朝、鍵の穴にカードを差し込むと、
「おはようございます。解除になりました」

と薄暗い部屋から声が響きます。機械から聞こえる抑揚のない声は、気持のよいものではありません。外のドアを開けて20秒以内に機械にカードを差し込まないと、警備会社の人が駆け付けてくることになっているので、急いでカードを差し込まなければなりません。慌てると手が震えてなかなかうまくいきません。お陰でもう3度もカードを折ってしまいました。
 帰りは店中の窓を閉め終わり電気を消し、カードを差し込むと
「今日一日ご苦労さまでした」

と機械から声がかかります。窓を1つでも閉め忘れるとまたやり直しです。 それからというもの、物を言うこの気味の悪い機械に、お店は守られることになりました。

 

 

 外に貼ってある店員募集の札を見て、18歳の女の子が応募してきました。広く開いた襟に豊満な胸をちらつかせて、かがむと中が丸見えです。女性の目から見るとなんとあられもない格好と思うのですが、男性である若き店長は、ついクラクラときたのでしょう。直ちに採用ということになりました。化粧品担当です。

 でもその女の子が来てから、よくレジが狂います。はじめは慣れないせいと思っていましたが、その子の休みの前の日になると1000円、2000円と狂うのです。
 

 ある日、皆で示し合わせてお札に印しをつけて、わざと財布を机の上に置いておきました。

 暫くして行ってみると案の定、1000円抜き取られています。その子の財布を調べてみると、印しの付いた1000円札が1枚入っていました。大金を盗らないで中から1枚2枚と抜き取っていたので、気が付くのが遅くなったのです。

 その子はそのお金を盗んだことは認めましたが、レジのお金のことは一切認めませんでした。

 これ以上の明らかな証拠がないので らちが明かず、結局その件はそのままにして すぐに辞めてもらいました。

 

 

「お宅は、リコリタンってドリンク剤置いていますか」
「いいえ、ありませんけど」
「あら、リポビタンだったわ。ああら恥ずかしい。間違っちゃった」 

そのお客さんは賑やかに恥ずかしがって飲んでいきます。

 

 

 かわらしい女の子が、お母さんに手を引かれて入ってきました。赤ちゃんのとき未熟児で、さんざん相談に乗ってあげた人です。紅葉のような手でヘルシースナックをレジに差し出します。ひ弱だった赤ちゃんの、大きくなった賢そうな愛くるしい顔を見ると自分が育てたような嬉しさがこみあげてきます。

 

 

 おや、お掃除のおばさんがお花を抱えてきました。
 初夏には菖蒲、かきつばた、秋になると菊の花を沢山持って来てくれます。皆に眺めてもらうのが楽しみだと言って、ビル中をお花で飾ってくれます。

 

りんどう

(ちぎり絵・大白泰子)

 

* * *

 

 この店は駅の近くなので、両替を目的で買いに来る客が多く、毎朝小銭を用意するため何十万円も近くの銀行に両替に行きます。
 銀行強盗が出没する今日この頃、わずか1分ぐらいの距離の銀行に行くにも、もし途中で襲われたらと不安になります。 茶色の紙袋にさり気なく大金を入れて、何食わぬ顔で出掛けます。店のショーウィンドーに映る姿は、遠くから見るせいか、まだ30歳前半の若奥様のよう。
 その時です、ショーウィンドーの若奥様に、ぬっと近づくヤクザ風のアンちゃん!
(どうしよう……)
……美人薬剤師、銀行帰りに現金剥奪殺害……
新聞の活字が頭をよぎり、思わず紙袋をしっかと抱きしめます。
「奥さん」
(そら、来た!)
「奥さん、後ろのファスナーが開いていますよ」 
 朝から大ドジを踏んだ私は、秋になって紅葉してきた、けやきの葉より赤くなって店に戻ります。

 

 

 この薬局のビルの2、3階には、いろいろな人が住んでいます。 その中に歯科医院もあります。
 この歯医者さんから来た処方せんを、ウチの薬局で調剤します。鎮痛剤関係が多く簡単なのですが、大人と子供の分量を間違えると、命取りになるので気をつけなければなりません。ときどき歯医者さんの方で書き間違えて、子供なのに大人の分量で来ることがあり、肝を冷やします。間違えたらすぐ連絡出来るように、処方せんには必ず電話番号を書き込んでおきます。
 

 ついこの間のこと、処方せんを持って来た子供連れのお客さんに電話番号を聞いたら、引っ越したばかりで電話がないとのこと。とりあえず住所を聞いて控えておきました。5歳の男の子の歯痛どめです。よく出る薬なので、あらかじめ計って包んでおいてあります。
 その人が帰ってしまってから考えてみたら、大人の方の包みを渡してしまったようです。5歳の子ですと常用量の5倍です。飲んだら大ごとになります。
さあ、大変! その住所を尋ねて見ましたが、その人の家は見つかりません。引っ越したばかりで、うろ覚えの住所を教えてくれたのです。まんじりともしない一夜を明かしました。新聞に目を配ります。救急車の音が気になります。電話のベルが鳴るたびに跳びあがります。 

 

 2、3日経ってそのお客さんがひょっこりやってきました。
「坊や、あの薬のみました?」
「ええ、お陰さまでだいぶ良くなりました」 
ああ、良かった! 薬は間違っていなかったのです。

 

 栃木県の病院から、処方せんを持って来た人がいました。今、旅行中なのだそうです。睡眠薬1ヵ月分です。常用量内ですが、こんなに長期に出たのを見たことがありません。でも旅行中なのだから、特別なんだろうと思ってその通り調剤して出しました。処方せんには病院名も、医師名も明記してあり捺印もしてあります。
 月末に保険調剤の請求書を書いて出すと、健康保険組合から該当者がいないと戻って来ました。栃木県の病院に電話で問い合わせると、そんな薬を出した覚えはないと、医師のうろたえた声が聞こえてきました。元看護婦さんか何かが、睡眠薬ほしさに処方せんを偽造したのです。

 

 

 目の悪いおばあさんがやって来ました。その手を、これまたそっくりな顔をした息子さんが、大事そうに引いています。
「これが、ほしいんだね」

息子さんは、おばあさんの手に薬の箱を握らせて確認します。
「そうそう」

見えない目で、おばあさんは頷きます。

 お天気の日には欠かさず街を連れて歩きます。散歩を兼ねているのでしょう。何て優しい息子さんでしょう。

 

 

 おや、店長の背中に何か ついています。
 *キズもの、少々難あり* 
店長は知らずに店中歩き回って笑いを振り撒きます。明日はわが身なので、念のため背中を鏡に映して見ます。
 *返品不能*
やられてました。 今も昔も若い人の茶目はかわりません。